------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ 例 黒須《くろす》 太一《たいち》 【読み進めるにあたって】 ストーリーは 1,「CROSS†CHANNEL」からはじまります。 順番はこの下にある【File】を参照のこと。 このファイルは たった一つのもの  4,「たった一つのもの(いつか、わたし)」 です。 ------------------------------------------------------- FlyingShine CROSS†CHANNEL 【Story】 夏。 学院の長い夏休み。 崩壊しかかった放送部の面々は、 個々のレベルにおいても崩れかかっていた。 初夏の合宿から戻ってきて以来、 部員たちの結束はバラバラで。 今や、まともに部活に参加しているのはただ一人という有様。 主人公は、放送部の一員。 夏休みで閑散とした学校、 ぽつぽつと姿を見せる仲間たちと、主人公は触れあっていく。 屋上に行けば、部長の宮澄見里が、 大きな放送アンテナを組み立てている。 一人で。 それは夏休みの放送部としての『部活』であったし、 完成させてラジオ放送することが課題にもなっていた。 以前は皆で携わっていた。一同が結束していた去年の夏。 今や、参加しているのは一名。 そんな二人を冷たく見つめるかつての仲間たち。 ともなって巻き起こる様々な対立。 そして和解。 バラバラだった部員たちの心は、少しずつ寄り添っていく。 そして夏休み最後の日、送信装置は完成する——— 装置はメッセージを乗せて、世界へと——— 【Character】 黒須《くろす》 太一《たいち》 主人公。放送部部員。 言葉遊び大好きなお調子者。のんき。意外とナイーブ。人並みにエロ大王でセクハラ大王。もの凄い美形だが、自分では不細工の極地だと思いこんでいる。容姿についてコンプレックスを持っていて、本気で落ち込んだりする。 支倉《はせくら》 曜子《ようこ》 太一の姉的存在(自称)で婚約者(自称)で一心同体(自称)。 超人的な万能人間。成績・運動能力・その他各種技能に精通している。性格は冷たく苛烈でわりとお茶目。ただしそれは行動のみで、言動や態度は気弱な少女そのもの。 滅多に人前に姿を見せない。太一のピンチになるとどこからともなく姿を見せる。 宮澄《みやすみ》 見里《みさと》 放送部部長。みみみ先輩と呼ばれると嫌がる人。けどみみ先輩はOK(意味不明)。 穏和。年下でも、のんびりとした敬語で話す。 しっかりしているようで、抜けている。柔和で、柔弱。 佐倉《さくら》 霧《きり》 放送部部員。 中性的な少女。 大人しく無口。引っ込み思案で、人見知りをする。 でも口を開けばはきはき喋るし、敵には苛烈な言葉を吐く。 凛々しく見えるが、じつは相方の山辺美希より傷つきやすい。 イノセンス万歳。 桐原《きりはら》 冬子《とうこ》 太一のクラスメイト。放送部幽霊部員。 甘やかされて育ったお嬢様。 自覚的に高飛車。品格重視で冷笑的。それを実戦する程度には、頭はまわる。 ただ太一と出会ってからは、ペースを乱されまくり。 山辺《やまのべ》 美希《みき》 放送部部員。 佐倉霧の相方。二人あわせてFLOWERS(お花ちゃんたち)と呼ばれる。 無邪気で明るい。笑顔。優等生。何にもまさってのーてんき。 太一とは良い友人同士という感じ。 堂島《どうじま》 遊紗《ゆさ》 太一の近所に住んでいた少女。 群青学院に通う。 太一に仄かな恋心を抱くが内気なので告白は諦めていたところに、先方から熱っぽいアプローチが続いてもしかしたらいけるかもという期待に浮かれて心穏やかでない日々を過ごす少女。 利発で成績は良いが、運動が苦手。 母親が、群青学院の学食に勤務している。肝っ玉母さん(100キログラム)。 桜庭《さくらば》 浩《ひろし》 太一のクラスメイト。放送部部員。 金髪の跳ね髪で、いかにも遊び人風。だが性格は温厚。 金持ちのお坊ちゃんで、甘やかされて育った。そのため常識に欠けていて破天荒な行動を取ることが多い。が、悪意はない。 闘争心と協調性が著しく欠如しており、散逸的な行動……特に突発的な放浪癖などが見られる。 島《しま》 友貴《ともき》 太一の同学年。 元バスケ部。放送部部員。 実直な少年で、性格も穏やか。 激可愛い彼女がいる。太一たち三人で、卒業風俗に行く約束をしているので、まだ童貞。友情大切。 無自覚に辛辣。 【File】 CROSS†CHANNEL  1,「CROSS†CHANNEL」  2,「崩壊」 CROSS POINT  1,「CROSS POINT(1周目)」  2,「CROSS POINT(2周目)」  3,「CROSS POINT(3周目)」 たった一つのもの  1,「たった一つのもの(1周目)」  2,「たった一つのもの(2週目)」  3,「たった一つのもの(大切な人)」  4,「たった一つのもの(いつか、わたし)」  5,「たった一つのもの(親友)」  6,「たった一つのもの(謝りに)」  7,「たった一つのもの(Disintegration)」  8,「たった一つのもの(弱虫)」 黒須ちゃん†寝る  1,「黒須ちゃん†寝る」 ------------------------------------------------------- たった一つのもの  4,「たった一つのもの(いつか、わたし)」 そして、俺は目覚めた。 念のため、茂みの奥を確認する。 よし。 位相のずれ。とでも言うのか。 俺の目だけが観測できるそれは、向こう側への帰還の道のり。 観測する者だけに、真実となる。 そこをくぐれば、帰れる。 人の満ちた世界に。 けれど。そう。 俺は——— 曜子ちゃんの姿はない。 ただ弁当だけが机に置いてあった。 学校に向かう。 無人の世界を歩く。 人だけでなく、生物そのものの気配がない。 満ちている感じがしない。 蝉も鳴かない。 不自然な、空間。 交差した世界の中核で、渦巻く矛盾。 わずか八人の小世界。 太一「……」 七香も、出てこない。 七香「……………………」 通過して、美希の住んでいる団地方面に向かう。 坂の下から小走りに駆けてくる美希。 俺を見つける。 駆け出す。 こっちに向かって。 蹴つまずきながら。 美希「うわ〜〜〜〜〜〜んっ!!」 泣く。 胸に飛び込んできた。 受け止めた。 美希「せんぱい、せんぱいせんぱいせんぱーーーーーいっ!!」 美希「誰もいないよ〜〜〜〜〜〜っ! おかしいよ〜〜〜〜〜〜っ、こんなの絶対おかしいよ〜〜〜〜〜〜っ!!」 太一「……う、うん」 美希「どこの家にも誰もいないです! ほんとに誰もいないんです、いなくなっちゃってます!!」 太一「そうだな。困ったな」 背を叩いてなだめる。 美希「どういうことっすか……こんなこと、あったらだめです……」 小さいやつ。無敵の美希に育つのに、どれだけの幸福と偶然と時間が必要なのだろう。 太一「俺がいるだろ」 美希「……うううっ、はい……よかった……いてくれて……朝おきて、お母さんとかいなくて、ごはんもなくて……そんでみんなまでいなくなってたらって考えたら……」 太一「恐くなっちゃったか」 額をすりつけるよう、こくこくと頷く。 美希「いやです、こんなの……わたし、いや……」 太一「やっぱり人がいないと寂しいよな」 美希「……帰りたい……」 太一「帰りたいか」 美希「帰りたい、帰りたい……」 太一「そうか、帰りたいか」 美希「霧ちんに会いたい……他のみんなにも……」 ハンカチを渡す。みるみる染みを作った。こぼれる少女の涙は、張力に丸まって真珠のよう。 太一「霧ちんかぁ」 一週間。すべては日曜日だ。 美希「えぐえぐえぐ」 ずっと泣きっぱなしだ。手を繋いで学校に来てしまった。 太一「あのさ、俺はちょっと用事があるんだけど、美希はどうする?」 美希「ここで霧待ちします」 太一「……そう。じゃあまた」 美希「あ、用事終わったあと、まだ用事あるんですか?」 腕振り振り、そう言う。 太一「ないよ」 美希「じゃ、ここで待ってるんで……ここに……」 太一「どうせなら教室で待ってたら?」 美希「……人のいない建物に、入りたくないんです……息が、詰まりそうで」 太一「わかった。じゃすぐ済ませるから」 美希「あ、ハンカチも……弁償します、お金以外で」 何でだ。ついセクハラ魂がわきあがる。 太一「いいさ。女の子を泣かせたままにしておくハンカチじゃないんだよ」 美希「……ぐす」 効果覿面〈こうかてきめん〉だ。 教室。霧はいない。もう、いない。何度繰り返そうが、霧があらわれることは永遠にない。永遠という言葉さえ矛盾に追いやって、俺と霧は繋がる術さえない。彼女たちを利用して心に糧をたくわえる俺に科せられた、当然の罰。 罰。 ×。 CROSS。 けどもう、交差はできないんだ——— 太一「けど……どう説明する?」 美希に。頭が痛い。正門に戻る。美希は膝頭に頭を入れて、うずくまっていた。 太一「……美希、来たよ」 美希「…………先輩、霧が来ません」 太一「休みなんじゃないかなあ」 美希「じゃあ家に……いる?」 太一「さあ、どうだろう、出かけているかもしれない」 美希「……行きます」 太一「あー、ちょっとちょっと」 美希「はい?」 太一「ここはあえて、俺と遊ぼうよ」 美希は停止した。やはり経験値がない分、反応が鈍い。 美希「……二人、だけで?」 太一「無粋なやつだな。つまりデートに誘ってるんだ」 美希「でーと」 無意味に繰り返す。 太一「デートに第三者なんぞいらん。二人だけの閉塞した小世界でいい」 美希「なるほど……」 圧倒されて納得したらしい。 太一「時間は取らせないぜ。というか、霧だってたまには一人になりたい時だってあるだろうさ」 美希「……はい、じゃあ」 太一「よし、では学校には戻らず団地方向に行こう」 美希「……あ、でも様子見ておきたいのですが……」 太一「いーからいーから」 美希「ぎゃにゃー」 引っ張っていく。今の美希は、一度沈むと取り返しがつかないだろう。脆い。けど普通ってことだ。普通の、女の子ってことだ。不安なんだろう。霧がいなくて。一週間、気を引ければそれでいい。彼女は日常に戻る。けど、ただ送還するだけじゃ意味がない。俺が彼女から、多少のものを得る必要があるんだ。 CROSS†CHANNEL 目を覚ます。陽光が窓を貫いていた。熟睡していたらしい。夢一つ見なかった。時間は……7時。学校に行かねば。 美希がいた。 太一「また待ってるの?」 美希「……あ、先輩。来ないんですよ、なにかあったのかも……」 太一「霧から伝言持ってきてるよ」 美希「え?」 太一「曜子ちゃんと二人で、発電所の方を調査するらしいよ。漢だね!」 美希「支倉先輩……と?」 太一「うん。その支倉先輩に、今日はゲストで来てもらってます」 曜子「…………」 美希「……久しぶりにお会いします」 曜子「…………」 太一「はい、話して」 背中をつつく。 曜子「佐倉霧と発電所を調べる。誰にも邪魔はさせない」 敵に告げるように言った。 美希「な、なるほど……」 有無を言わさぬ迫力があった。 美希「霧ちんは今どこに?」 太一「すでに機上の人だ」 美希「えっ!?」 太一「そういうわけで会えない。そうだね曜子くん」 曜子「……そう」 美希「そうですか……」 しゅん。 太一「じゃ調査の方、よろしく」 曜子「……わかった」 のたくた敬礼しあう。 彼女の出番はこれで終わりだ。 ……………………。 で、曜子ちゃんを帰らせたあと。 美希「支倉先輩が言うのなら、間違いはないですよね……」 太一「んだ」 美希「でも、ちゃんといるんだ、よかった」 ない胸をなでおろす。 太一「なあ、どっか涼しいとこでお菓子でも食わない?」 美希「……お菓子?」 目の色が変わった。 太一「あめ玉とグミキャンディー。手作り」 目の色が変わった。 美希「てづくり?」 太一「んー。曜子ちゃんのだけど」 太一「シュガー控えめ、美容健康にいいらしい。グミはこんにゃくだね。0カロリー」 美希「0カロリー!?」 決まりだった。 ……………………。 美希「ママの味がする……やだ、ほっぺが……落ちそう……」 太一「うむうむ」 手作りお菓子を食べて美希はご機嫌だ。 美希「支倉先輩も謎が多い人ですよね」 太一「んだね」 美希「恋人、なんですか?」 太一「いや、一緒に暮らしてただけだよ」 美希「同棲!」 太一「同棲とは違う。俺たちは親がいないから、二人ともあの家に世話になってただけだよ」 太一「姉弟みたいなもんだ」 美希「そうでしたか」 太一「さあ、千歳あめもやろう。二人でしゃぶってつららみたいにとがらせようぜ!」 美希「わー、ちとせあめだ!」 ぱっと笑顔に。美希と過ごす一日は、楽しかった。何気ないシーンの積み重ねではあったけど。印象以上に重い、その価値を俺は知っている。残された期間はわずかだ。 太一「……これも、だましてるってことになるのかな」 でも向こうに帰れば、霧もいる。美希は許してくれるよな?どっちの美希も——— CROSS†CHANNEL 水曜日。学校に。脱走させないための門。学生を守っているというより、外の世界を、俺たちから守っているような。そんな印象を抱かせた。 太一「おはよう」 美希「よーす」 太一「霧だったら———」 美希「ああ、いえ今日は違います。先輩待ちです」 太一「ふふふ、それって、期待しちゃってもいいってこと?」 美希「恋愛感情は0ですけど大好きです」 太一「……………………」 遠い。 美希「ん……? 先輩、なんだかすえた臭いがしますね?」 太一「ああ、これ香水。汗の香り、スエット・ミント」 美希「うそだーーーーーーっ! そんな香水あるわけねぇーーーーーーっ!」 美希「え……お風呂は?」 太一「風呂……? 俺は紳士だから風呂いらいん」 美希「……水浴びとか……」 太一「水もったいないじゃん」 美希「ぐあ……じゃあ……今日で……?」 太一「水曜日だからぁ、三日目かなぁ?」 アホ口調で告げる。 美希「はっふー」 気絶した。 太一「大丈夫か!」 俺は上着を脱いで美希にのしかかった。 美希「わわわわわっ!?」 本気の抵抗。 ……………………。 美希「……うっかり気絶もできませんね……」 太一「すまん、脊髄反射で」 美希「……なんて危険な脊髄」 太一「まあ気にするなよ。風呂に入らなくとも死ぬことはないぜ」 美希「汗くさい先輩きらいです」 太一「……そんなこと言われても」 美希「来てください」 連れて行かれる。美希がプレハブからホースを持ってきた。 美希「せんぱい、服脱いで。もち、下も」 太一「いいとも」 脱ぐ。 美希「な、なんて下着を……」 美希はまっ赤だ。 太一「この展開は読めていた! だから原作に忠実にしてみた」 屋上に佇立〈ちょりつ〉するのは、限りなくぞうさんパンツの俺だ。ホースに装着されたホルダーの弁が解放された。 美希「じゃー!」 強烈な水流が、俺を襲う。 太一「うぷっ」 美希「そらそらー」 むっとするシトラスミント。ボディソープをぶちまけられた。しかもボトル一本分。 ……俺はそんなクサイか。 美希「先輩、ごしごしこすって!」 太一「はいはい……」 美希「私が水かけますから、先輩は洗うのに専念してください」 太一「物言わぬ無洗米になりたい……」 美希「じゃがー」 猫科の哺乳動物を連想させる水音の擬声語が斬新だった。やっぱり美希は俺の見込んだ有望なルーキーだ。 太一「霧とペアのときはプールでイチャイチャしてるくせに、俺のときはばっちぃ扱いか、ちぇっ」 美希「……」 水流が像の鼻を叩いた。勃った。 美希「どーしてそれだけでそーなるんですかぁ!!」 泣かれた。 太一「俺の敏感ボディにきいてくれ……」 美希「もうしらなーい!」 太一「だから下半身は別の生き物だというのに。ま……ついでにここもキレイにしておくか」 ぞうカバーの上から竿を軽くしごきつつ、ボタンを外そうとする。 美希「やめれーっ! 処女の前ですることかっ!!」 太一「ごわっ!?」 最大の水力で、顔面を叩かれた。転倒したら、空が見えた——— 美希は来ていない。思い出す。美希とはじめて出会った日のこと。 美希に声をかけたのは、群青全体でも俺が最初だと思う。彼女は本来の学校を追い出されて、群青にやってきたラブリーな子羊ちゃんだった。 初日。 彼女は昼ご飯というものを持ってこなかった……らしい。その情報を、美希とクラスメイトになったみゆき経由でゲットすると、即捜しに出向いた。偶然を装って出会いイベントをセッティングするためだ。 近隣に迷惑をかけないよう閉ざされた正門前。美希はそこで立ち往生していた。編入者のパターンと言える。 太一「ハーイ!」 美希「……え?」 で、いろいろあって。 美希「ぷっ」 小さく笑って。 美希「……変な人」 ちょっとうち解けて。 太一「こうなったら強引にここで食う!」 霧「な、なにしてんですか!?」 同じ目的の霧と口論になって。 美希「あはははは……なんだかなぁ」 言い争うのを、美希は複雑な表情で見ていた。 いくら待っても、美希は来なかった。 太一「……仕方ない」 気が滅入る。風に当たりたい。先輩のいない屋上は、どこか物静かで寂しい場所だった。 太一「はー」 大の字に横たわる。風が俺の上をかすめて行く。羽のようにさらわれたいと願うが、人間の体は重く、ままならない。解放など訪れるものではない。 人間は自分の重さを自覚するようにできている。 太一「美希、捜さないといけないんだけどな……」 目を閉じると、意識がぼやけていった。 違和感で、目を開く。 太一「…………美希?」 美希「はい」 にっこりと。 美希「美希です」 目尻が赤い。なにかあったのか? 美希「あ、寝ててください」 太一「……膝枕のままでいいの?」 美希「えっちなことしないでいてくれるなら」 太一「したら?」 美希「セクハラの度合いにもよりますが……絶交」 太一「そりゃこわい。何もできない」 美希「ほんとうに?」 太一「ああ、かなりこわい、そんなことになったら100メガショックだ」 美希「……じゃー、寝てていいです。びっくりしました、倒れてたから」 太一「寝てた」 美希「またそんなトンデモ日常を……でも、そういう時の先輩が、一番いいですね」 太一「……そお?」 美希「面白おかしく、毎日がお祭り騒ぎみたいで」 涙。真上で泣かれると、反応のしようがない。 太一「美希……?」 美希「でも、先輩と遊べば遊ぶほど……ものたりなくて……霧ちんいないし……他のみんなも……親も、クラスメイトも…………ぐす……日常は、なくなっちゃったんだなって……」 太一「……俺と遊んでも駄目でしたか。まぁなぁ、仕方ないんだけど……」 美希「そういう意味じゃ、ないんですけど……わたし、自信なくて……」 太一「何の?」 美希「生きていく、自信が」 太一「馬鹿いうでない。自分を無闇に信じろ」 美希「……ぐす……無理っす……霧ちん、いなくなったんですよね?」 太一「…………どうして?」 美希「なんとなく……だって、人がいないんですから……そう考えるしか。みんな消えたんです。だから霧も消えた。わたしたちもいつか、消えるんですか? 消えてなくなっちゃうんですか?」 太一「……かも知れない」 美希「……ほら……あははは……先輩だって、認めた……」 太一「あのなあ美希。誰だって最後は死ぬんだ。おまえ様は、いつか終わりがあるからって、今生きてることを放棄すんのか?」 美希「……それは……」 太一「消えるんだっていーじゃん。消えるまで生きれば? 楽しいことはいくらだってあるって」 美希「……どんな?」 太一「そーだなぁ……俺と暮らそうか?」 美希「先輩と? 告白ってやつですか?」 太一「欲しいものはなんでも買ってやろう」 俺のハイエンドなギャグをスルーして、美希は目をのぞきこんでくる。 美希「えっちなこと、しようとか思ってます?」 太一「する」 美希「……う……」 太一「するね、俺は、えっちなことを。それが自分の存在意義であると信ずる者の取るべき確固たる態度でするね。俺の家の敷居をまたいだ瞬間、おまえは非処女に等しくなる」 美希「はやー……」 辟易とした様子。 太一「なぜなら、おまえは箱の中に入れられた猫めいて、処女と非処女が等しいのだ」 唐突に睡魔。 太一「ぐう……」 美希「考えておきます。って、寝てる……はや…………まったく。ほんと、変な人。はは、あははは……はははは、っ、はははは……はは……」 ……………………。 起きると、美希が微笑んでいた。 太一「また寝ちゃった?」 美希「はい、こんこんと」 太一「ごめん、痺れたろう。起きる」 美希「その前に」 押さえつけられた。 美希「お礼をしてあげます」 太一「お礼?」 美希「励ましてくれたお礼です」 太一「だったら、そのまったいらボディで……」 美希「いえ、礼は耳かきでしたいと思います」 太一「!?起きゆ!」 美希「だめっ」 太一「それはまずい!」 美希「にゃー!」 耳に棒が突っ込まれた。 ざくっ 太一「!!!!」 あとはもう、地獄だった。 結局、美希は俺の家には来なかった。 太一「金曜日、か」 世界が揺り戻されるまで、あと三日。今日もなすべきことをしよう。 太一「……いけね、海に行かないと」 昨日仕込み忘れたけど、なんとかなるかな。 太一「海に行こう」 美希「……ぃえ?」 アトミック雑貨で必要なものをかきあつめ、車を調達し、海に向かった。 太一「よし、いい海っぷりだ!」 ガッツポーズ。 太一「そして!」 美希「はやい……展開がはやい……」 太一「さらに飛ばして行くから」 美希「うーん、元気だー」 太一「さ、遊ぶぞ! うおー!」 美希「せやー!」 太一「がー!」 美希「にぬーっ!」 セパタクローと水泳を足したゲームを楽しんだ。そして昼食。 太一「ふいー……フィールドが海の中だと疲れるー」 美希「遊びっていうより、体力しぼりに来たって感じですね」 太一「あの遊びは失敗だな」 美希「移動が水泳って……狂ってますよ。あれ人魚専用の遊びっす」 太一「正気じゃいられない十代なんだよ。さて、できたかな」 美希「できますね」 二人で安っぽいテーブルに顎を乗せて、二つ用意されたそれを凝視した。 カップラーメン。 太一「ずるずるずる」 美希「はふはふはふ」 太一「海だからラーメンでいいんだろうけど。わびしい」 美希「……ですねぇ」 太一「そっちうまそーだな」 美希「カレー味」 太一「ちょっと交換」 美希「いいですよ、はい」 太一「……あ、うまい。もう一個あったっけ、それ?」 美希「適当に突っ込みましたからねぇ、見て下さいよ」 ただいくつかは、衝撃で器が割れてしまっている。 太一「よく考えたらカップ麺数十個もいらんよな」 美希「……それ抱えてたからわたしの命があるってこと忘れるなよ」 途中、事故ったのだ。すっげー怒られた。泣きながら。 太一「あ、これうまそう」 一つを取り出す。 太一「ん……お湯入れる場所がないぞ? なんだこの具。ラーメンじゃないじゃん?」 美希「ほよ?」 太一「なんか高野豆腐……じゃなくてスポンジだぞ……に、ねっとりとした液体がしみこませてあって……」 太一「って、オナカップじゃねぇか!!」 美希に投げつけた。 美希「ぎあっ?」 命中。 太一「このハレンチ処女! おばか!」 美希「なにすんですかー!」 太一「自分がラーメンと一緒に突っ込んだものをよく見てみろ!」 美希「……んー? なんです、これ?」 太一「オナカップだ」 美希「おなかっぷ?」 太一「今のエロセリフは記憶にとどめるとして、要するにHな道具だ。俺はあまり好きじゃないが、使い捨てで、500〜900円くらいだ!」 美希「……使い方がわからぬ」 眼前で使ってみせてやろうか……この小娘。 太一「もー、おまえがそんな無防備だからお兄さんは心配です」 美希「は、はあ……結構、知識ついたんですけどねぇ、誰かさんのおかげで。この年でおなほーるのメンテナンス方法知ってる女の子は、そうはいませんぜ」 太一「うぇっほん。今日は暑いな」 暑くないが。 美希「……ねえ、それより気づきました?」 太一「うむ?」 美希「魚もクラゲも、なんもいないんですよね、海」 太一「……ああ、気づいた。貝もいない。貝殻だけだ」 美希「サクラガイひろっちったです。きれー。もってかえろ」 太一「オクトパスギガンテウスもいなかった」 美希「……?」 太一「まあ、そこいらあんま気にしないでおこう。科学的にボロが出る」 美希「……いや、突っ込むというか、寂しい世界だなって思って」 美希「世界って寂しかったんだーと」 太一「うーむ」 世界は寂しい、か。そうなんだよな。 美希「さ、遊びますか!」 太一「よし、次は夜のレスリングだ」 美希「……それせっくすって言いませんか……ふつー」 美希「楽しかったですー!」 太一「うむ。また行こう」 美希「うっす!」 だいぶ元気を取り戻した様子。 太一「あー、今日撮った写真、現像って時間かかるかな?」 美希「はやくほしいですか?」 太一「うん。できたら明日の夜には」 美希「はや……じゃあ、学校で現像しますんで、そこでお渡ししましょ」 太一「さんきゅ。じゃあね」 美希「あ……」 太一「ん?」 美希「ええと、いえ、なんでもありません。また」 団地方面に走り去った。 CROSS†CHANNEL 土曜日だ。 ……あと一日。あと一日なんだ。 美希「おはようございます、はやいですね」 太一「写真欲しいんだけど」 美希「これから現像です。時間かかりますよ」 太一「いいよ、のんびりで」 美希「つきあいません?」 太一「……あー、ここでぼんやりしてる」 美希「そですか」 ちょっとしゅんとした。 美希「お昼、一緒しましょう」 太一「んー」 美希が去る。週末について考える。否応なく。健全に、送り返すだけ。美希との何気ない会話一つ一つを、心に刻む。 太一「やっぱ、行こう」 写真部の部室に向かった。 夜、玄関に美希がやってきた。 太一「あれえ?」 美希「……お邪魔しまーす」 来ちゃった。大きな手荷物。石けんの香り。新しい制服。これは……。 美希「先輩から変なオーラ出てゆ」 太一「……ごほん、シッケー」 美希「せっまいホテルですねー、支配人」 太一「は、広い場所恐怖症のお客様には好評いただいております」 美希「……といっても、うちより広い」 太一「おいッ!」 美希「はわはわ、すっごい、フローリング」 太一「この街なら普通だ。みんな金あまってるんだから」 美希「うち、貧乏町時代からある激安団地なんで」 太一「ああ……あの廃墟ね」 美希「エレベーターついてないから、電気止まってもぜーんぜん平気ー」 太一「何階なんだ? 美希んち」 美希「……最上階」 太一「泣いていい。君は泣いていい」 美希「うわーん! これでもう階段昇らなくてすむですー」 太一「哀れな……」 美希「じゃ、同情してもらったところでお部屋にご案内」 太一「ここです」 美希「あんたの部屋です!」 太一「男の家に来るということはだな……」 美希「あー、わかりやした……」 太一「素直でよろしい」 美希「あの先輩。でも一つ質問よろしいですか?」 太一「うん?」 美希「隣の部屋って……?」 太一「あー、あそこは駄目だ。見てくる?」 美希「はい?」 行かせた。 血相変えて戻ってきた。 美希「……せせせ先輩の写真とかがバーッと一面に!!」 太一「恐いだろ?」 美希「きついです」 太一「まあ触れずにおこう。でだ、この部屋の床、ここが君の寝床になる」 太一「はい寝袋」 筒状にたたまれた寝袋を、美希はジト目で見た。 美希「頼ってきた女の子を袋で寝かせるというのは、どういうもんでございましょうねぇ?」 太一「うちは客人は床って決まってるんだよ。布団で寝たかったらこの俺、黒須太一100の試練を乗り越えなくてはならない」 要するにセックスだ。 美希「……」 悩み出した。 太一「おいおい」 美希「……」 太一「美希ー?」 美希「……」 太一「悪戯しちゃうぞー」 俺を見上げて、 美希「どーぞ。覚悟はできてます」 真剣な口調だったので、面食らった。 太一「うーん……と改めて言われてもなぁ。冗談なんだし。というか、こわくないか?」 美希「こわい、です」 太一「だろ?」 左右に首を振る美希。 美希「誰もいないのが、こわい」 太一「そっちか」 美希「霧はどうしたんです? どうしていなくなったんです?」 太一「わからないな」 美希「わたしも消えるんですか? 先輩も?」 太一「…………」 美希「気が、狂いそうです。……だっこして、先輩。消えちゃわないように……」 そう言って、身を傾けてきた。受け止めるしかない。せめて夜でなければ、我慢はできたかもしれない。だけど二人を包む雰囲気は、もう拒絶できるものではなくなっていた。 太一「……だっこ、ねぇ」 背中に軽く手をまわすと、美希はいっそうしがみついてくる。これもまた。 思い出の一つか———そっと美希を横たえて、 キスをした。 美希「ん……んは……っんっ」 小さな唇に驚く。薄い、繊細な作り。しっとりと湿っていて、驚くほど柔らかい。軽くついばむ。つつくようなキス。触れては離れて、少しずつ角度を変えて。 美希「こそばゆい……ちょっと、あっ……はっ……」 キスの最中にしゃべられるのは負けだ。つい、舌を入れた。美希の体が硬直する。強く抱きしめる。逃げないよう。吸って、吸って、吸って……。 甘い蜜が、口内に引き込まれるように。 『あの』美希に近い感覚が、懐かしい。 太一「美希はかわいいな」 人形みたいに、胸におさまってしまう。 行為の放熱を間近で感じる。 漂う、甘い体臭。 太一「……美希?」 美希「……………………」 眠っていた。 太一「ははは」 のんきなもんだ。 美希の体を拭いて、 窓を全開にして、 抱いて、 寝た。 太一「……はは」 俺は知った。 小さくてあたたかい。 美希はそういうものだった。 CROSS†CHANNEL 美希「はい? ピクニック?」 太一「そー」 日曜日。 朝食を食べながら、持ちかける。 美希「日曜日ですしね」 太一「用意はしてある」 美希「ほんとだ。はやぁ……」 バスケットをまじまじと見つめて、 美希「んー、それって、えっちピクニックですよね?」 などと笑う。 太一「ばれたか」 美希「うわ、最低だこの人」 太一「いいじゃないか。他にすることもないし」 美希「この人、ロマンスさえあったらなあとよく思います」 太一「ロマンスだけじゃ生きていけない」 美希「……露骨な」 太一「というわけで行こう。グッズとかコスチュームとかは俺が持って行くから」 美希「な、なにされるんだ、わたしは……しかも山で」 太一「さあ」 美希「うー、まだアソコ痛いのにー……」 美希「で、あっしは何されるんですかー?」 太一「行けばわかるけど……未体験ゾーンと言っておこうか」 美希「はえー(涙)」 サイケデリックな俺の行動に慣れているせいか、美希は不審がらずについてきてくれた。 太一「美希はご両親いるんだっけ?」 美希「いるんですよ」 美希「貧乏なご両親です。つうか、いました」 過去形。 太一「あ、悪い」 美希「あは、みんないないんだから一緒です♪」 太一「貧乏人かぁ」 美希「おこづかいとか安いですよ」 太一「いくらよ?」 美希「3000円」 うわぁ……。 格安だな。 太一「なんも買えねぇ」 美希「ためが大事です。あとお年玉」 美希「群青行くって宣告された時は、なんか金一封みたいのいっぱいもらいましたよ」 美希「あれって、どーいう意味なんでしょうねー!」 太一「……さあ」 知らぬが仏。 太一「ま、どっちにしろ、またもやタメは大事になるだろうさ」 美希「……?」 太一「ついた」 美希「……ほこら」 太一「こっちな」 美希「こんなところでするんですかぁ……拒否権はないんでしょうかぁ?」 太一「ない」 美希「あーん」 太一「ラジオを持ちたまえ」 美希「……どういうプレイ?」 太一「なに、向こうに切り替わったら状況がすぐわかるようにな」 美希「???」 太一「ここを歩く、まっすぐゆっくり」 美希「??????」 太一「ほらほら」 美希「なんか、意味が……」 太一「歩く歩く」 美希「は、はぁ……」 いいぞ。 太一「ストップ。動かないように。そうだな、ポーズを取りなさい」 美希「どんな」 太一「マイポーズ」 美希「……ない、そんなものはない……どうしよう」 太一「適当でいいんだよ」 美希「……こんな感じで?」 太一「……………………」 美希「……あのぅ?」 太一「うむ、目に焼きつけた」 美希「何がはじまるのだ……」 太一「美希、俺は予言しよう」 太一「おまえは近い将来、タフガイになる」 美希「性転換するという意味でございますか」 太一「いい女になる」 美希「わー」 太一「経験を積めば、なかなかのものになれるおまえに、俺から言葉を贈ろう」 太一「Xという文字は、交差しあってできている!」 美希「……ん?」 太一「あれ、意味わかんないか? 俺はけっこう感動的なことを言ったぞ」 美希「……交差しあってるって、すれ違いってことじゃないですか」 太一「うわ、そーいうこと言うなよ! 物事はとらえかた次第だっての!」 美希「あはは。先輩はあいかわらず奥が深くて、美希にはよく理解できないです」 太一「うーむ」 美希「先輩の第一印象は変な人で、今の印象も変な人ですよ」 太一「出世してないな、俺」 美希「そんなのとつがいになった美希です、よしなに」 太一「うむ。よい子を生めよ。ああ、おまえにめくるめく性の極みを教えてやれなくて残念だ」 マジで残念だ。なんつうか、ちょー残念だ。無念だ。 美希「あのう、さっきから何を?」 太一「じゃあな」 手を振る。 美希「あの……」 太一「ほら、手をあげて」 美希「はい……でも」 太一「笑顔」 美希「なんか……お別れみたいじゃないですか」 太一「そう?」 美希「おかしい、ですよ……先輩……」 太一「俺はたぶんね、美希みたいな娘か妹が欲しかったんだと思うんだ」 美希の目が、開いた。 その瞬間。緋が暮れた。 太一「すげー楽しかった。じゃあな」 美希「先輩、やだ!」 カシャ——— 踏み出すよりはやく。 送り返した。 CROSS†CHANNEL 美希「……あ……え? 先輩ってば!……あれ? あれれ? いねー! 一瞬で! 太一先輩、どちらにー!? あら、ラジオ鳴ってる?…………え、どういうこと……ラジオが鳴ってるってことは、電波が届いてるってことで……電波が出てるってことは……あ……街の灯。人が、いるんだ……うわわっ、一大事! 先輩ってば、なんか人がラジオで街なんですってば! いない……どこに……先に行ってますからねー!!」 一人になった。また世界から、一人分の意識が消えたわけだ。にしても。 太一「……察した、か」 最後の瞬間。彼女の『やだ』という言葉は、何を意味していたのか。具体的に何が起こるかわからなかったはずなのに。伝わるものなのかな……こういうのは。 太一「本当に妊娠してないといいけど、な。いや、してた方が興奮するかな……どっちだろう」 そんなことを、考えていた———